平成の大横綱・貴乃花親方の週刊プレイボーイのインタビュー
を紹介いたします。
(たかのはな・こうじ…1972年8月12日生まれ。第65代横綱。
1988年三月場所初土俵。最年少入幕や最年少幕内優勝など
記録多数。2003年に引退し、一代年寄「貴乃花」を襲名。
2010年に日本相撲協会理事に初当選。現在は地方場所部長
「大阪担当」の要職にある)
━ 現役中に亡くなられてしまった第51代横綱の玉の海関は、
先代(初代・貴乃花)が特に慕い、またかわいがられていたと
聞きましたが、親方自身は玉の海関に対してどんな印象を
お持ちですか?
貴乃花 先代は玉の海関のことを心から尊敬していて、私にも
いろいろな話をしてくれました。一番覚えているのは、1971年
一月場所の千秋楽の話です。
当時、小結だった先代はケガで途中休場を余儀なくされてしまい、
千秋楽の日は気晴らしも兼ねて知り合いと飲みに行ったそうです。
酒宴は遅くまで続き、その帰り道でのこと。夜中の3時だというのに、
大通り沿いに玉の海関の車が止まっているのを見つけてそうです。
━ ええっ、夜中の3時にですか?
貴乃花 そう。それで、先代が挨拶をしようと思って車に近づい
ていくと、暗闇のなかを黙々と走り込んでいる玉の海関の姿が目
に飛び込んできたそうです
━ なんでまた……。
貴乃花 実はその日の千秋楽で、玉の海関は優勝決定戦で
大鵬関に敗れてしまい、あと少しのところで優勝を逃してしまった
んですね。その夜に黙々と走る横綱の姿を目の当たりにした先代は、
「自分のことが恥ずかしくてたまらなく、しばらく玉の海関の走っている
姿がまぶたに焼きついて離れなかった。そして、この夜の出来事は、
自分の相撲人生において原点となった」って。
以来、先代は玉の海関のことを慕い続け、亡くなられた後もわが家の
仏壇に祭ったほどです。ですから私は子供の頃から先代と一緒に毎日
お祈りをしていたんですよ。
━ そうだったんですか。
貴乃花 ええ。また、先代は「玉の海関も体は大きいほうでは
なかったけれど、とにかく技術に長けていた」とも言っていました。
そんな玉の海関は私も尊敬している大先輩のひとりです。