前回のヴァイオリニスト・千住 真理子さんに続き、彼女の実兄である
日本画家・千住 博さんのインタビューを紹介します。
(せんじゅ・ひろし……1958年、東京都生まれ。
代表作のウォーターフォールは1995年ヴェネツィア・ビエンナーレ
絵画部門で名誉賞を東洋人として初めて受賞。
2007年より2013年3月まで京都造形芸術大学学長を務めた。
ニューヨーク在住)
「将来は画家としてやっていきたい」私がそう言った時、「画家など
という仕事で食べてはいけない」と、父は理解を示してくれません
でした。
では、ほんとうに画家という仕事では食べていけないのでしょうか。
答えはノーです。
要するに「絵なんかじゃ食えない」というのではなく、「あなたの絵
では食えない」ということなのです。
心から絵描きになりたいと思うなら、画家として生活していきたい
と思うなら、自分の絵で食べていけるようになるまで努力すること。
成功する人とは成功するまで続けた人のことだと、私は思うのです。
私は東京藝術大学で学びました。藝大というところには、それこそ
天才的な才能を持った人間がひしめいています。
しかし、当時私が出会った多くの人間が、やがて芸術の世界から
消えていきました。私は自分に煌めくような才能があったとは思って
いません。それでも画家として生き残ってこられたのは、けっして
舞台から降りなかったからです。多くの人間は、豊かな才能を持ち
ながらも、自ら舞台から降りていきました。退場する言い訳を探し
ながら、自分から逃げていきました。一方で私は、どんなに批判され
ても、まったく評価をされなくても、絶対に舞台から降りることをしま
せんでした。
20歳代から30歳代半ばにかけて、コンクールに出品しては落選を
繰り返しつつ、私は絵を描き続けました。家庭を持っていましたから、
お金を稼がなくてはならない。そこで予備校で教えて生活費を稼ぎ、
ペンキ絵でも新聞のチラシのイラストでも、注文をもらえれば何でも
描きました。芸術家などを気取っている場合ではありません。
とにかく必死になって舞台の上に立ち続けたのです。
どんな端役でもいい。舞台に立ち続けることです。
そして常に真剣に努力をすることです。
そうすれば、いずれ必ずチャンスはやってきます。
誰の下にも、それは平等にやってくる。
そのチャンスをつかみ取るために、けっして準備を怠ってはいけない。
たとえ舞台の隅であっても、努力をし続けることです。
私は画家という舞台に立ち続けてきました。
どうしてそれができたのか。
答えは単純明快。絵を描くことが好きだったからです。自分は何が好き
なのか。自分は何になりたいのか。そのことは自分自身が一番よく
分かっているはずです。でも、多くの人は、そうした本心から目を背け
ようとしています。知っているのに人は分からないふりをしたがる。
自分は何がしたいのだろう。私がやりたいことは何なんだろう。
そう悩みたがる人が多いのです。ほんとうは答えが分かっているはず
なのに。
他人と比較することに意味はありません。今でこそ私も日本画家として
評価をされていますが、自分に才能があるかどうかは、どうでもいい
ことだと思っています。私よりも才能がある画家はたくさんいます。
でも、そんなことは私の人生には何の関係もない。なぜなら、私の人生
の主人公は私だからです。私は絵を描くことがいちばん好きです。
だから、絵を描ける人生であればそれでいい。
今の人たちは、競争社会のなかで生きています。
他人と競うことばかりに目が向いています。
しかしほんとうに競争すべきは、他人ではなく自分自身でしょう。
10万人の人たちが競争しているのではなく、自分自身と競争している
個人が10万人集まっている。本来社会とはそういうものではないで
しょうか。それぞれが自分の好きなことに熱中し、誰にでも訪れる
チャンスをつかみ取っていく。それぞれに好きなことがあるし、やりたい
ことも十人十色。皆が自分らしく生きる権利を持っている。
世の中はそのように平等にできていると思うのです。
「PHP 2011年8月号」より