『確信は失敗のもと』

『私(…元リッツ・カールトン日本支社長・高野 登氏)がニューヨークのプラザホテルに勤めていたときのことです。今はもうなくなっていますが、当時は、「オークバー」というバーがホテル内にありました。そこは、昔から高級娼婦も出入りしていたバーでした。プラザホテルに限ったことではなく、高級ホテルのバーというのは、そのような女性が頻繁に足を運ぶ場所でした。

これがまた、普通ではまずそういった女性を見分けることはできません。本当に、一見女優のような人が多く、見極めるのがとても難しいのです。

しかし、ホテルとしては、やはりあからさまにそういう方だとわかる場合は、やんわりとご退席をお願いすることになっていました。明らかに化粧が濃く、派手な毛皮をまとっていたりして、「それっぽい」人がいるときは、ウェイターが声をかけるのです。

あるとき、見るからにそういう人たちが身につけるような毛皮を着た女性が、ひとりで席に座っていました。ウェイター同士で、「あの人、どう思う?」「絶対そうだよ、間違いない」と何度も確認しあい、思い切って声をかけました。

するとその女性は、「私は人と待ち合わせをしているの!」とハッキリと答えたのです。一瞬ひるみましたが、私を含めたウェイターたちで、「ここはあなたのいる場所ではないですから」と、なんとかバーから出て行ってもらおうとしました。そうして揉めているときに、「ハイ、ハニー!」と呼びかける声がしたのです。

振り返れば、いつもテレビで見ているニューヨークのお偉いさん。
「マイワイフが何かしたのかい?」

その言葉を聞いたときは、本当にびっくりしました。その女性は、その人の奥様だったのです。ウェイター一同、「そんなバカな……」と面食らいました。

「この人たち、私に店から出て行けって言うのよ!」という奥様に、彼は「ちょっと今日は化粧が濃かったんじゃないのかい?」と冗談を言ってなだめ、その場はおさまりました。

しかし後日、支配人宛てに弁護士を通じてクレームが入ったのは言うまでもありません。紳士というのはその場で声を荒げたりはしませんが、あとで必ずビシッと厳しい追求をしてきます。

そのときは、名誉毀損でホテルが先方に5万ドルを支払うことになりました。5万ドルというと驚く金額かもしれませんが、名誉毀損で5万ドルは安いほうです。

日本の場合ですと、そんなことがあると気まずくなってその店にはもう来てくれなくなりそうですが、そこは訴訟国家であるアメリカ、ご夫婦はそれからも「オークバー」に通ってくださいました。

やはりプラザホテルの「オークバー」というと、トップクラスの方が集まる場所です。そこに出入りしないのはもったいないことであるわけです。

こちらではその一件以来、奥様がいらっしゃるとなると、一番いい席を用意するようになりました。急に奥様がいらした場合にも、どんな格好であってもすぐにいい席をお作りすることが当たり前となったのです。

「こうに違いない」「絶対にこうだ」と決めつけるのは、考えものです。特に見た目だけで相手がどういう人か決めつけるのは危険です。一歩踏み込んだ想像ができていれば、相手の気分を害すことも、後々自分たちが賠償金を支払うこともなかったわけです。

「この人はこうだ」とあなたが考える裏側には、「そうでなかったらどうなるか」というリスクが常にあることを肝に銘じておくべきでしょう。』・

…とまぁ、そういうことです。