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萩本欽一さんの童話のような実話。
高校生(今から約60年前)のときは、新聞配達のほかにも、いろんなアルバイトをやった。
西銀座のデパートで、窓と床とお便所をキレイにして、1日340円。
封筒のあて名書きをやって、1日240円。さびついた鉄板を磨く仕事が一番高くて、1日400円。
まかないメシを目当てに、飲食店の出前のバイトもやった。
ある日、自転車に乗って出前をして、店に戻る途中、新宿の交差点で信号待ちをしてたらさ、
「おまえ、何しやがんだ!」
って、おじさんが顔を真っ赤にして、ボクに近づいてきたんだよ。
「何って、なんですか?」
「何じゃねぇだろ!」
「えっ、なんなんですか?」
「なんなんですかじゃねぇだろ。ココを見てみろ!」
おじさんの車に横線が入ってたの。ピッカピッカの新車にながーい
ひっかき傷が1本。
ボク、知らないうちに、自転車の荷台に載ってるアルミ箱の角か
なんかで、ひっかいちゃったみたいで……。
「おまえが働いている店はどこだ。店の名前を言え!」
「言わないよ、ボク」
「言わないじゃないだろ、言えよ!」
「言わないよ、ボク」
「言えよ、言えって。すぐに店に連絡しろ!」
店、店の名前って言うから、ボクは言ったんだ。
「おじさん、ボクはアルバイトなの。1日230円。店のオヤジさん、
いい人だから、ボクのかわりに払ってくれると思うけど、小さな店だし、そんな大金払ったら、大変なことになっちゃうよ。オカミさん、泣いちゃうよ。だから、店の名前は言えないよ」
「おまえのウチは?」
「ウチにお金がないからアルバイトしてるの。おじさん、むちゃなこと言わないでよ。ウチの親から取ろうとしてるでしょ。親が困らないように
ボクがアルバイトしてるのに」
インチキはだめだ、絶対に逃げないぞ、とボクは思った。
「おじさん、ボクをおじさんの会社まで連れていって、その分だけ、
働かせるのが一番いい方法だと思うんだよ。どれだけでも働くからさ。おじさんの車のあとを自転車で追っかけてついて行くからさ」
って。
そしたらさ、おじさんが急に、
「キミの言ってることが正しいな。ボクの言ってることは間違ってた」
って。
「オレもキミみたいにアルバイトをして、頑張った頃があって、今、
車を買えるようになったんだ。学校を卒業したら、オレの会社に
おいで。ごめんな……」
おじさん、涙をためて、「さよなら」って、名刺を1枚残して、帰ったの。
ボク、おじさんの背中を見ながら、泣いたよ。ボロボロ泣いたよ。
ところがさ、ボク、こういうところがインチキくさくてさ、もらった名刺を
なくしちゃって。
あんなに涙流して、いつか恩返ししようと思ってたのに、なくしちゃって。オレって、どういう人間なんだろとうかと自分を疑っちゃたよ~。
それで、テレビに出られるようになってから、いろんな番組でその話
をして、活字でも言い続けたんだけど、おじさんからの連絡はなし。
昭和62年になって、ボクがテレビをやめようとしたときになって、
やっと手紙が来たんだ。
『テレビや雑誌でアナタが私のことを言ってくれていることは知って
いました。でも、アナタが一生懸命に働いているときに、名乗り出る
のはイヤでした。アナタがお休みをすると聞いたので、手紙を書き
ました。ゆっくりと休んでください』
すっごいデカい会社の社長さんだった。
「ボクが間違ってた」って言える人ってカッコいい。
そういうカッコいい人って、社長になっちゃうんだよね。そうじゃない人
って、部長にはなれても、社長にはなれないもん。
萩本欽一著「快話術」より