ある夏の朝だった。
私(広岡 勲・元ニューヨークヤンキース球団広報)の携帯電話に広報部長から連絡が入った。
「実は、日本のある少年が重い病で、今、ニュージャージー州の病院に入院している。その少年は大の松井ファンらしいのだが、ご両親の話ではどうも容体がよくないみたいだ。何かしてやれないだろうか」
その話を松井に報告すると、「だったら、今からすぐ、その病院に行こう!」松井と私は、直ちに車を飛ばして、そのニュージャージー州の病院へ向かった。
そして、病院に着くや、白衣とマスクをまとい、少年のいる部屋を訪ねた。そのドアを開けたとたん、部屋一面に松井グッズが飾られているのが分かった。
「まぁ、松井さん!」とびっくりするご両親に挨拶をすませると、松井はすぐ少年の枕元に行き、
「さあ元気を出すんだ。僕も頑張るから、君も頑張るんだ。大丈夫、必ず良くなる。元気になったら、ボクとキャッチボールをやろう、きっとだよ」
その少年が目を輝かせながら「うん」とうなずくのを見て、ご両親の目から涙があふれた。
その日のブルージェイズ戦で、松井のバットが火を噴いた。
1回裏、塁上に2人のランナーをおいて、ライトスタンドへ特大のホームランを叩き込むと、3回裏の第2打席でもライトスタンドへ。
メジャーに渡って以来、初の1試合2ホーマーを放ったばかりか、1試合6打点という活躍ぶりだった。
かつて、病床の少年にホームランを約束、その日の試合で3本のホームランを打ったというベーブ・ルースの話(1926年のワールドシリーズ)を聞かされると、
「こういうことになるんなら、あの少年にホームランを約束してくればよかった」
そう言って、松井は唇を噛み締めたのである。
その少年は、2か月後、静かに息を引き取った。
松井に限ったことではない。ヤンキースではこういうことが、ごく自然に日常茶飯事のように行なわれている。
広岡 勲著「ヤンキース流広報術」より